第一回 EPSON PC486NAT
第1章 出会い そして始まり
通称「納豆」 姉妹機種586とともに98時代の栄華を今に伝えるEPSON製98互換機。しかし,互換機であるが故に宿命のように背負う個性が製品に至る道程の様々な困難を物語っています。
彼との出会いは1999年春でした。その春私は無念の転勤を命じられました。パソコンに対して全く無知だった私に同僚が「今の世の中はパソコンが必須だから」と餞別に手渡してくれたのがEPSONーPC486NATだったのです。
初めて手にするノートを見て私はこんなに高価な物をもらってもいいのだろうかと思いました。「古い物だから」と言われましたが,スペックという概念を知らない私にはフタの開くノートが全て同じに見えていました。今から思えばこの頃の「納豆」はすでに主力機としての社会的役割を負え,全国のユーザーが懸命の延命対策を図りながら,それでもパソコンとしての誇りとプライドを維持しようとしていた時期です。パソコンの性能がものすごいスピードでリニューアルされていることなど知るよしもなかったのでWINDOWS95を初めて開いた私は正直なところ興奮していた。この年,折りしも世の中はwindows
Meが登場した年のできごとです。
パソコンの扱いは知りませんでしたが,学生時代にブラインドタッチを覚えていたのと,仕事では愛用の東芝ルポを使いこなしていたので一太郎やワードを覚えるにはさほど時間はかかりませんでした。
ところが事件は1ヶ月ほどして起こったのです。なんとアリが歩くようなスピードでしか動作しなくなったのです。困った私は新しい職場でパソコンツーと呼ばれている同僚に相談することにしました。その結果ハードディスクの空き容量がなくなったのだと言われたのです。私は物々交換で手に入れたデジタルカメラ(パワーショット350)の画像を保存し,加工のためのソフトをインストールしてフル活用していたので,たった510MBのハードディスクはあっというまにいっぱいになってしまったのです。FDしか知らなかった私には510MBというサイズは大記憶容量に思えていたことがそもそも大きな間違いでした。
そして私はさらに大きな間違いを犯してしまったのです。
私は削除という概念を安易に知ってしまいました。そして知識もなく「ファイルの削除」を多様してしまったのです。その結果,いつのまにかWINDOWSの重要ファイルを
何の躊躇もなく消し去っていたのです。
何度メインスイッチを押してもメモリーカウンターがかすかに数字を数えるだけで「納豆」は目を覚ましませんでした。キーボードからシステムを破壊するなんてワープロでは考えられないできごとです。
終わったと思った。始まったばかりのパソコンライフはもろくも幕を閉じたと思いました。どうしていいかわかりませんでした。私は仕方なくまた同僚に相談し一部始終を話した。
次の日,彼は魔法のようなFDを持ってきて「納豆」のメインスイッチを押しました。すると真っ黒の画面に白い文字だけがスクロールしはじめたのです。WINDOWS95とは異なり極めて地味な画面でしたが,確かにパソコンは動いていました。彼が持ってきたFDには鉛筆で「起動ディスク」と書かれていました。そして彼は言いました。「再インストールの必要がある。」
こうして「納豆」再生の闘いが始まったのです。
第2章 復活の雄たけび
仕事を早めに引き上げることのできたある週末,私の家には明るいうちから同僚がつめていました。家にころがっていたという810MBのハードディスクも提供してくれました。
前の職場の同僚に電話して残っていた付属品をかき集めてもらった結果,マニュアル本が数冊とFDが数枚見つかりました。完璧ではありませんでしたが,何よりも幸運だったのはバックアップCD−ROMが全て残っていたことでした。
「どうにかなるだろう……」
マニュアル本をしばらくめくり続けた後,同僚はおもむろに口ずさみました。
判ったことは色々あったようです。インストールはフォーマットした後,MS-DOS→
WINDOWS3.1→WINDOWS95の順番を守るようにできているそうです。そして,98互換機であるエプソン独自の「くせ」があちこちにあるらしく一般の知識だけではインストールできそうにないようでした。フォーマットやFDISKも付属のFDでシステム化されていたし,FDの表示だけではどうも不親切のようで,何度もマニュアル本をめくり返していました。MS-DOSを機動させている時,同僚は「これもwindows95と同じOSで,コマンドさえ覚えれば一通りのことができるよ」と教えてくれました。
時間はすでに日にちが変わっていました。懸命の努力の結果,windows3.1が起動しました。すると画面がカラーに変わり,見慣れないキャラクターながらもなんだかホッとしました。
同僚は「3.1でも十分使えるから,この状態でやってみたら。スペッックを考えればその方が早く動くよ」と言いました。確かに当時最も必要だった一太郎はバージョン6.0ながら(世の中は9の時代)標準でインストールしてあったしインターネットもできると聞きました。しかし人間とは欲深いもので,ここまでうまくいけばやはりWin95と再開したくてたまらなくなりました。私は続行をお願いしました。
実際,ここからの作業はCDからのブートが可能な状態になっていたので実に簡単だったようです。インストールの最後にプロダクトキーは自分で入力するように言われ,恐る恐る、数字をならべました。
やがてwindows
95の青い背景が表示され,デフォルトで設定されている,できるだけ重厚に仕上げられた短いメロディーが世に復活を宣言するかのごとく,雄たけびのようにせまい部屋に響き渡りました。すでに夜は白々と明け始めていました。私は冷めたコーヒーをすすりながら,復活した「納豆」を見回しました。そして一晩を費やしてくれた同僚に深く感謝しました。
つづく
|