かんにんいわ  行広地区の昔話 

「ねぇ おじいちゃん この「じ」何て、よむの?。」
「ああ 堪忍岩のことじゃの。ありゃあかんにん′セうて、読むんじゃよ。」
「ふうーん。」

「前にゃぁの、下福田の、富原屋≠フ、つき山に在ったんで。今は、ここに
 こうして、村上屋敷に在るがのぅ。」
「どうしてココにあるの?。」

「そうよのぅ。この岩のいわれを話しちゃろうよ。のう。」
「うん、話して、話して。」

 むかし むかしの ことよ 孝子湯屋迫のお屋敷に、ある時の事、
 それは偉いおさむらい様が、来られる事になったんじゃと。
 その屋敷にはのぅ、丁度二人の兄弟がおって、二人できりもりをしておった。

 その、おさむらい様が、屋敷にお泊まりになる事が決まると、
 大急ぎで支度をせにゃあいけん、ちゅぅ事になった。それで二人で仕度に
 とりかかったんじゃ

 じゃがのぅ一人で指図をするのと、二人でするのとじゃあ、ちょっとのぅ、
 色々と、ちがう事が在るんよの。意見が違うて、幾たびも喧嘩にもなるしの
 まあ そういう兄弟の家ちゅうもんは、何処でも、得てして、
 もまし(対立する)とるもんじゃったんよ。

 ところがの、どうしたもんか、その屋敷きにゃあ、仕度をしとる言うに、
 騒がしい声、一つ、せん。みぃんな、それぞれにイソイソと嬉しそうに
 仕度をしとる。

 やがておさむらい様が到着された。
 もうすぐさま、次々と、手際良うに、ごちそうの料理やら、寝床の仕度やらと、
 下男から兄弟までが、かいがいしゅうに働いておる。
 
 その様子を見ていたおさむらい様は、ほほぉ、としきりに感心されての
 こりゃ、どうした訳か、聞きんさったんじゃと。

 そこで、その二人の兄弟は、こう言うたそうじゃ。
 
 「そりゃぁ、なんぼぅ血が繋がっとる、言うても、兄弟でも、考えるとる事は、
 それぞれに違いますで。まぁ、違う言うんは、誰んでも同じでしょうよぅの。
 じゃけど、それで、もまし(対立)とる言うのは、どこでも良う聞いておりますよ。

 が、そんでも、相手の悪ぃ所が、なんぼぅ(幾らも)在って、目についてものぅ、
 それにイチイチ、どうじゃぁ、こうじゃぁ、互いに言いよぅると、
 収まりがつかん、ちゅうて思うんじゃ。

 それじゃあ、ご先祖さまから頂いた、大事なこの屋敷は。行く末、一体どうなるやら
 解りゃぁせんよになります。大事な事は「堪忍」してやることよのぅ。と、
 おたがい思うとります。兄弟で堪忍のしあいこですじゃ。」

 こりょぉ(これを)聞いたおさむらい様はの、ほお、なるほど、と、えろぅ
 感心されてのぅ、この気持ち、宝にして、何時までも忘れんよぅに、言うて、
 屋敷の前にあった大岩に、「堪忍」ちゅうて、書いて残しんさったそうじゃ。

 それから兄弟は、前にも増して、仲良うに、末永く幸せに暮らした。ちゅう
 事じゃよ。

 それから時代がずうううっと、変わっての、屋敷はとうとう、のう(無く)なって
 しもうたが、その堪忍岩を、たいそう気に入った村上屋敷の衆が、大事にここへ
 持ち帰った、ちゅう訳よ。

「そういう訳じゃがの、解ったかいのぅ。」 
「うん。わかったよ。いやな事もがまんすれば良いことがある、っていみよね。」
「をを、そうじゃ、そうじゃ、おまえは賢い子じゃの。」
「えへへっ。」

 これでしまいじゃよ。