えんこうの恩返し

 もう随分と古い話よのう。今はもう、ダムが出来て、水の底に沈んでしもうたが、
 昔はそりゃ深い深い淵が在ったんじゃ。今は「箱川」(はこがわ)言うが、
 昔しゃあ白川(はくがわ)いうておったのよ。

 その深い淵は、この川の、その一つ山を越えて向かい側の、同じ様な深い淵と、
 何処かで繋がっておって、自由に行き来が出来る、とも、言われとったそうじゃげな。

 じゃがの、その行き来をするんは、人間じゃぁ無いんじゃ。それが、えんこうじゃよ。
 カッパ、言うて呼ぶ所も在るそうじゃがの。そのえんこうは、底も見えん位に
 深い淵に住んで居って、人には、滅多と会うような事は無かったそうじゃ。

 じゃがの、もともと、えんこうは金物が大嫌いでのぅ。キラキラしたモンには、
 うっかり近づくことも出来ん位に嫌がっておったそうじゃ…。
 えんこうのヤツは、もしかすると、今で言う「金属アレルギー」だったんかも
 知れんの??。はっはっは。

 ああ、そうじゃ、すっかり話が逸れてしもうたの。いや、すまんすまん、冗談じゃよ。
 そのえんこうが住んでおった頃の古い話しじゃ。

 ある時のこと、そりゃぁ、どえらい嵐が来たことがあるそうじゃ。
 いなげ(一度に)に雨が、ドウと降ったかと思うと、
 突然、山のあっちこっちから、沢山の大水が、いっぺんに流れ出ての、
 あっと言う間にゃぁ、そこら中のものを、ぜーんぶ飲み込んでしもうて、
 見る間に川は、大氾濫したそうじゃ。

 そりゃぁ、もう酷かったげな。村の衆は、誰もかれも、何〜も出来んと、
 ただただ呆然として、もう恐ろしうて、家の中でブルブル震えておったそうじゃ。

 それから、どのくらいたったろうのぅ、やっと雨がやんで、少しづつじゃが、
 水がゆっくりと引きはじめたのよ、それで村の衆は、ヤレヤレと、
 ひとまずは安心したんじゃよ。

 ところがのぅ、そこら中の田圃にゃぁ、泥やら砂やら、流れた大きな木の根やらが、
 大そう残ってしもうて、やっと苦労して作った稲穂も、随分と傷んでしもうた。

 じゃがの、村の衆のみんなで、何とか埋まった木を掘り出したり、泥を流したりして、
 酷い飢饉にゃぁならずに済んだそうじゃ。ヤレヤレよのぅ。

 そいじゃがの、その頃からだったかの、その深い淵の、一番近くに住んでおった
 一人の年寄りが、どうした事やら、毎晩、夜になると、うなされるようになってしもうた。

 その夢が、また妙な夢でのぅ、誰やら知れんが
 「助けてくれぇ。助けてくれぇ。」言うて頼むそうじゃ。
 
 その年寄りは、普段から、大人しうて真面目な働きモンぢゃったんで、その毎晩の
 夢がどうにも、気になって、気になって、とうとう眠れんようになってしもうた。

 それでも、とある晩のことよ、夜中につい、ウトウトとした時の事じゃ…。
 なんと夢枕にえんこうが立ったんじゃよ。

 「おいおい、おみゃぁさんよぉ、頼むけぇ、こないだの雨で淵に沈んだ鍬を、
 どっか別のトコにやってくれんかのぅ。あの鍬のせいで、淵ん中に潜るんが、
 どうしても出来んのじゃ。
 このまんま潜れんかったら、ワシゃ死んでしもう。たのむけぇ、
 あの鍬をどうにかしてくれんかのぅ。」

 年寄りは はっ、と起きあがって、あたりをキョロキョロ見回したが、誰もおらん。
 初めは夢かと思うたが、ようよう考えてみると、ホントの事じゃ言うのが解って
 そりゃあ腰を抜かすくらいにびっくりしたんじゃよ。
 はぁはぁ、あれが噂に聞くえんこうなんじゃろうか、言うてのぅ。

 まぁじゃが、その年寄りは人が良かったんじゃの、さしもの、えんこうが困っておる
 こりゃ何とかしてやらにゃいけん、と思うたんよの。
 翌朝になって、朝日が見え始めたら、早速起き出して、淵を見に行ったんじゃよ。

 そうしたらの、えんこうの言うたように、確かに淵の深いところへ、何やら
 キラキラしたモンが沈んどるのが見える。
 ははぁ…、あれが鍬ぢゃの、あれじゃぁ、えんこうも困っとるじゃろうなぁ。
 と、直ぐに着物を脱ぐと、ザンブと淵に飛び込んだんじゃ。

 大雨が上がったあとの淵じゃから、そりゃあ色々なモノが、流れついて
 沈んでおったんじゃ。その中でも、なんと長いもんが在るのぅ、と思うたら
 「はぜ足」(稲を掛ける為の棒)だったり、ありゃぁ、いったい何かのぅと、思うて
 ようよう見たら、底が抜けた桶やら、まぁ、いろいろ沈んでおった。

 キラキラ光って見えた、あの鍬も、その淵のだいぶ下の方に沈んどった。
 金物じゃからの、随分と下の方へ沈んだんじゃろうの。

 それで、やあっとの事で、沈んだ鍬を拾い上げてやった。
 これなら、あのえんこうも、この淵に潜れるじゃろう、と、ひと安心したんじゃな。

 そりゃそうよの、これで夜になっても、うなされずに、ゆうっくらと寝れるからのぅ。
 はっはっは。

 さて次の日の事じゃ。

 久しぶりに、ぐっすら寝れたもんで、年寄りは朝から機嫌が良かったんじゃ。
 朝から天気も良かったんで、物干しの所に行って、洗濯したばかりの着物を
 そこに干そうと着物を広げたんよ。

 ところがじゃ、よう見たら、その軒下の物干しの先に、何かが掛かっとる。
 「ありゃりゃ。こりゃぁ何かいの??。ありゃ魚じゃろうか??。
 なして、こがいな所に??。おかしいのぅ。」

 まぁ、たまげた(びっくりした)事よ。知らん間に、美味げな魚が、軒へたくさん
 掛かっとるんでの。
 じゃが、まてよ…、と、考えたんじゃ。
 そうそう、こげな(このような)事するんは、あのえんこうの仕業かも知れんで。

 それで、思わず顔をほころばせて笑ってしもうた。
 そうじゃそうじゃ、よっぽど嬉しかったんじゃろうなぁ。
 えんこうのヤツめ、これは鍬をどかした、そのお礼のつもりじゃな、と、
 もう、それで、一人で、お天道様に向かって、大笑いしたんじゃよ。はっはっは。

 それからじゃよ。なんとまぁ、毎日、毎日、魚が軒下に下がるようになった。
 まぁ、えんこうは律儀なヤツよのぅ。恩を受けたら仇で返すような事はしやせんで。

 それから言うもんは毎日が楽しみじゃった。何時に下げるか知らんが、
 段々と、えんこうが、自分の身内の様に思えてきたんじゃ。
 明日は何の魚を下げてくれるじゃろうか…。一人もんじゃったがの、家族が出来た
 そんな気持ちになれてのぅ、嬉しゅうて仕方が無かったんじゃよ。

 それから暫く経った頃よの、あんまり毎日たくさん魚を掛けるんで、
 軒下が、ちいっと傾いてきたのに気が付いた。
 まぁ粗末なアバラ屋じゃったから、雨露がしのげれば良い様な家での、
 それが沢山の魚の重さで、だんだん傾いたんじゃな。

 そこで軒から雨が漏ってはいかん、と思うて、軒下へ行って、金具の鎹を
 付けることにしたんじゃよ。村の鍛冶屋の衆は気前よしで、
 「軒をなおしたいんじゃが。」言うて、金具を頼んだら、
 「じゃあコメが出来てからで良いけぇ。」言うて、頑丈な鎹を作ってくれたんじゃ。

 早速に、手際も良うに、鎹を釘で叩いてつけて、ようやっと、軒は下がらんよう
 になった。まぁ、ヤレヤレよのぅ。

 さてさて、次の日の朝のことよ。

 いつものように、今日は何の魚が掛かっとるかのう、と、はな歌混じりに
 軒の下に行ってみたんじゃ。

 ところがじゃ、なんぼ探せど、見渡せど、いつも掛かっとった魚は、
 今日は影も形もありやぁせん。

 ありゃまぁ…おかしな事よのぅ、と思うて、首をかしげた。
 するとその時、山肌からのぞいた朝日が、ピカーと射してきた。
 辺りは急にまぶしうなった。すると、その朝日が射した途端に、
 付けたばかりの鎹が、キラキラ!ピカーと輝いた。

 はっ、と、そのとき、気づいたんじゃ。
 ああ、そうじゃった、えんこうは…、えんこうは、カナモノが大嫌いじゃったのに、
 ワシゃぁすっかり忘れとった。

 そうじゃよ。あれほど淵の鍬を嫌った、あのえんこうじゃもの、
 鎹のキラキラには、恐ろしゅうて近寄れんかったんじゃな。

 こうして次の日も次の日も、とうとう魚は一匹も掛からんかった。
 もう、えんこうは二度と現れんかったんじゃ。

 それでの、ちょっとだけ寂しうなって、時折、あの淵の側に立っては、
 あのえんこうを懐かしうに思うたそうじゃ。

 これでしまいじゃ。