棲真寺滝心中噺 (盆踊口説)
天保三年辰の年 郡本にて本郷に
町を下りて川下に 天満天神様の麓にて
入江と申して大家あり 其れの息子の頼さんは
年は十九でみだれきぬ 蕾の花の御姿
器量心は才幹で 言うて岸野のほめ言葉
同じ在所に前田とて 御医者なされる同はんの
それの伜の文平の 文平妻子の名は岸野
年は行年二十二で ハッタイ人で美人相
縁は不思議や恋のたね 卯月八日の楽音寺
御薬師参りの下向道 一寸壱寸のそのあいに
恋風吹き来る両の足 雨にしょぼ/\ぬれ姿
それを見るより頼さまは 急ぎふためき我家に帰り
二階座敷にどんどん上がり 下駄と傘手に持ちて
千里一飛び矢の如く 走り出でたるその姿
よう/\そばにと走りより さしておくれよ此の傘を
はいておくれよ此の下駄を これは千万有難や
嬉しくさして帰りましょう 嬉しくはいて帰りましょう
天より降り来る雨でない 私が恋路の涙雨
早なり近よる我が家が内 されば/\の暇乞い
互いに我が家に帰りては 二階座敷にどん/\上がり
硯引きよせ墨をすり 鹿の巻紙筆かみくだき
互いの想いをつら/\書いて 互いに文をとり交わす
積る想いが増す鏡 鏡か裏は
死んでおくれや頼さまや 頼さん心に死ぬまいと
一夜が千夜と重なれば 壁に耳あり戸に眼あり
連そう夫に知られては 面目ないぞやわしが身が
弥勒の世まで名が残る 死んでおくれよ頼さまよ
悪事を好むこの女 どうもそれとも是非がない
着たる着物を脱ぎすてて 逐に整う白装束
上に召したが白綸子 下に召したが白羽二重
帯は綸子の左縄 これで支度も整うた
これより西の四十阪 隆景公や小早川
城跡麓の円光寺 御師匠寺に足を止め
雨戸引き開け忍び込み 硯引きよせ筆をとり
杉原紙を二つ折り 恐れながらにここに又
山より高い父の恩 海より深い母の恩
育てられたるその御恩 贈らず死るは残念や
どうもそれとて是非もない 十九が寿命とあきらめて
死んでおくれよ頼さまよ これで支度も整うた
言うてその寺忍び出て 町を下りて河土手で
あれに見ゆるが叔父の家 あれに見ゆるが叔母のうち
叔父や叔母ごの声もする 笛や太鼓の音もする
そこを行きぬけ河土手で 向こうに見ゆるが氏神様
言うて二人は髪を切り 腰の扇子にくくりつけ
向いにプラリと投げおいて 死に行くのが船木村
船木村にて河土手を 上へ上へと上られる
相々傘で面白く 唐人返しを空に見て
寺の麓の田や畑 滝見が堂に腰を掛け
向こう遥かに見おろせば あれ恐ろしや滝の壺
西は西方弥陀如来 水神様に身をあずけ
これが此の世の暇乞い 落ちる涙を神酒として
一つ食べては頼さまよ 一つ食べては岸野さん
此の世の杯すみました 滝の頂上に登られる
滝の頂上に登りては 互いに帯をとき合わせ
互いに身体をしめ廻し 裾と裾とを縫い合わせ
滝の壺にと身を投げる これが昔の本郷心中