一指禅は基本的に他の功法にみられる「意守」「入静」を求めません。ただ姿勢の正
確さと動作の順序を厳格に要求します。これが偏差の起こりにくいという所以であろ
うと思われます。しかし、それでも現在の功法そのものが連綿と続き繋がり同じであ
るとは明確に断言できない部分もあります。それは個々の気の充実の程度で行う形そ
のものが多少変化していく、と考えられるからです。実際ここに記述されている「型」
は1980年頃の王 瑞亭師の型であり、後に1995年頃に出版された書籍に表現
されている同氏の型とは微妙に変化しています。
しかし、だからそのどれが正しくどれが間違いである、とは言えません。そのどれも
が正しくどれもが良いのです。実際は一つの型が何を要求した結果に型が生まれたか
その必然性を俘囚し得るなら問題はないからです。
さて、一指禅功を行う場合、どれから始めてもさして問題はありませんが、終わる時
には必ずしっかりと収功をします。この収功(収勢)は非常に大事な事で、どんな所で
終わる場合でも必ず収功だけはしっかり行い、それから気功を終えるようにしなければ
なりません。実は身体が気功状態に置かれているものを、日常の状態にまできちんと
戻してやる事は大変重要な事です。特に気功をする事で気分が爽快になり、気力が充
実した状況に置かれている時、そのまま収功せず、平常の仕事などに戻った場合、気
分が高揚しすぎて嘔吐感をもよおしたり、頭がぼうっとしたりと、肉体的に良い影響を与
えません。収功とは気功状態である肉体を平常の状態にまで戻す大事な働きをもって
いるのです。