「アメラジアン」と呼ばれる子どもたちとの出会い
2000年7月16日のASAHI
WEEKLYに「アメラジアン学校は正式認可されるべきだ!」という記事がありました。
「アメラジアン」とはアメリカ人とアジア人の両親の間に生まれた子どもたちの意味だそうです。彼らを取り巻く日本社会は彼らについてあまりにも冷たく、極めて差別的であることを知りました。
雑誌「部落解放」(2000年11月号)に「勇気」という記事が掲載されていました。差別の中で自分自身の民族性を見失いかけた「アメラジアン」の人々の話でした。
筆者は、沖縄人である母親の民族性もアメリカ人である父親の民族性も受け継いでいないのでは?という自己疎外に陥ったそうです。そして単身アメリカに渡り、初めて自分の中に沖縄人としての民族性を見つけたそうです。
先日、初めて「アメラジアン」の子どもに出会いました。そして保護者の方から「アメラジアン」をとりまく問題について直接話を聞くことができました。私は、今までさまざまな人権問題と出会いましたが、この問題について、意識なく知り流していたことを恥ずかしく思いました。
憲法が保障されていない
この子どもたちには基本的人権が完全に保障されていません。学校ではいわれのない差別によって、身体的又は精神的に不利益を受けているそうです。私が一番心配なのは、「アメラジアン」の子どもたちが共通して自己疎外の状態に陥っているのではないかということです。子どもたちが自分の存在に誇りを持って生きることは、政府を始め、周囲のおとなが責任を持って保障しなければいけません。このことについて最も影響力があるのは教育ですが、日本の公教育では、そんなカリキュラムは残念ながらないようです。
物理的又は精神的な支援の輪を
安全保障条約を堅持してきた政府には、「アメラジアン」の子どもたを手厚く保護する責任があります。しかし、この子どもたちに対してはずいぶん冷たいようです。現在、沖縄にはアメラジアンスクールが設立されていますが、政府からは何の援助もなく、小中学校としても認められていません。このことを解決するように、政府に対して早急に要求しなければいけませんが、今、アメラジアンスクールは財政的に非常に困難な状況だそうです。たちまち、理解ある市民による「政府のかた代わりの支援」が必要です。
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