福山ぬまくま文化館(枝広邸)全景〜上野重治・画
〜ようこそ(^O^) 枝広邸は幕末から三代続いた医家の邸宅です。純和風の佇まいの良さを味わっていただきたいと思います〜
「福山市ぬまくま文化館(」枝広邸)」の外観
福山市ぬまくま文化館(枝広邸)表門家。なまこ壁に白壁が美しく映えている。(1階・2階にギャラリーがあります)
 『枝広邸』は幕末から三代続いた開業医の
個人邸宅でした。

 昭和63年、遺族の協力を得て、旧沼隈町が一年の歳月を費やし改築、地域のコミュニティ「地域文化館」として誕生しました。
 そして平成17(2005)年2月福山市と沼隈町の合併に伴い『福山市ぬまくま文化館』と名称が変わりましたが、地域のコミュニティであることには変わりありません。
 旧沼隈町時代「豊な心の育成」「潤いのある環境」をテーマの地域作りの一環として、「福山市沼隈サンパル」「道の駅アリストぬまくま」と共に地域の文化ゾーンとなっています
どうぞお気軽にご参加ください。

 

入り口は以前あった所に造築、
幕末の面影を残すなまこ壁に
檜造りの落ちついた構えとなって
います

 マウスオン館の玄関と上り口の「寄り付きの間」
門をくぐると、ゆったりとした空間を配した庭があり、目の前に数奇屋造りの茶室が現れ、侘びと寂びの世界へと誘います。
和の空間には書と花が良く似合う
部屋のあちこちに
季節の花が彩りを
添えています。
玄関を入った部屋の上り口で出迎えてくれるお花(^-^)
廊下の先には「坪庭」があり、
梔子(くちなし)庵へと通じる
中の間からの長い廊下を突き当たると右手に「坪庭」が姿を表す 10畳の大広間。炉が切ってあり、屏風で仕切り大きな茶会を催すことができる。十畳の大広間・純和室の床の間、掛け軸の演出が生かされる空間
       <今は珍しくなってしまった「炉が切ってある和室」と「床の間」>
【数奇屋造り】
 数奇屋造りは書院造りの流れを汲む建築方法です。
江戸時代になり、書院造りの気品を失わず、堅苦しさを取り除き、おしゃれで、
より住みやすい空間を作りだした実用的な建築方法で、武家や商人に好まれました。


梔子(くちなし)庵へ
和室から臨む庭園。「梔庵」への渡り石が見える。奥の和室から臨む中庭枯れ山水の趣がある。(左の続き)奥の和室から臨む中庭枯れ山水の趣がある。
(マウスを写真の上にお当てください。説明が現れます)
池の向こうには築山が築かれている。竹垣の向こうに、山南川に繋がる池がある向こうに「表門家」が見えるギャラリーとして使用される
池にある石橋を渡り、「清泉堂」へ向う洞窟に入る ホラ!洞窟の入り口が見えたでしょ(^O^)
イザ!洞窟へ(^O^)
トンネルの向こうには何があるのだろう…ワクワク(^O^)
池の中の石橋を渡ると洞窟が…   マウスオン
池に渡した石橋を渡り、岩の洞をくぐると、わずか2畳の茶室「清泉堂」
に出ます。
幕末当時の面影をそのまま残したこの茶室から見渡す屋敷内の風景もまた格別です。
庭園は四季折々の木々・草花が愉しめます。
洞窟内の小窓から中庭が見える
清泉堂
マウスオン

  
外から見た「清泉堂」。
当館のメインともいえるこの茶室は、滋賀県の永源寺管長・篠原大雄老師より、沼南の内海が
「口無しの瀬戸」と呼ばれることから『梔子庵』の名をいただきました。設計・監修は、斬界の権威・中村昌生博士によるものです。侘び・寂びの原点を教えてくれます。
  【坪庭】 梔子庵の水屋側入り口にある素朴な空間です。 梔子庵の水屋部分です。(茶室は右奥)
梔子庵の正式な入り口「にじり口」(左下)と天井の「あかり窓」 マウスオン 梔子庵内部・床の間  マウスオン
福山ぬまくま文化館(枝広邸)全景〜上野重治・画      〒720-0311
     広島県福山市沼隈町常石2323番地の2

          
               Tel & Fax  084-987-0003 ・ 
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